賢坂辻からお宮参り 一

 兼六園下から東の方、郊外に向けて進むと、緩い下り坂を経て一つの四つ辻に着く。そこが「賢坂辻」である。名に「辻」などとついている交差点は相応に歴史あるものと相場が決まっているが、二十数年前に初めてこの地名を目にした時、ちょっとした疑問を抱いたのを覚えている。それは何かというと、「賢」の字はあまり地名に使われないのではないか……ということ。

 

 もっとも、この疑問はすぐに解ける。賢坂辻には地名由来に関する標柱が立っていて、そこにあらましが記されているのだ。
 それによると、元々は「剣先ヶ辻」と呼ばれていたようだ。そちらの由来には諸説あるそうだが、一つの説として、小立野台地を平野部に向けてにゅっと伸びた剣身に見立て、その先端近くにある辻だから「剣先ヶ辻」と呼ぶようになったという。現在の精緻な地図で見ると些か牽強付会にも思えるが、往時の感覚ではそんなに無理のある謂いでもなかったのだろうし、何より武士の世・尚武の世である。「剣先」などという勇ましい名付けは好まれたのではないだろうか。誰かがちょっとした思い付きで「剣先ヶ辻」と呼ぼうと言い出して、皆でいいねいいねと言っているうちに人口に膾炙したなんてこともあったかも知れない。
 その剣先ヶ辻だが、明治に入って「賢坂辻」という名に改められる。これも分からないではない。御一新も落ち着いたところで、兵は不祥の器ということで「剣先」などという物騒なのは忌避しつつ、極力音の近い嘉字を採ったものだろう。
 そんな訳で「賢坂辻」という地名はあるが「賢坂」という坂はない。ちょっと、ややこしいところである。

 

 さて、その賢坂辻。兼六園下方向から来て直進すれば新興の街である杜の里や金沢大学角間キャンパス等に至るが、左右の脇道に入ればちょっと古い感じの住宅街になる。今回は右に折れてみよう。小立野台地の麓をなぞり山肌を右手に見るような道である。

 

 しばらく道を進むと、何となく違和感を覚える方もいるだろう。
 その違和感の正体を言語化すると「住宅街にしては何となく店が多いような……?」である。実際、美容室・飲み屋・酒屋・二輪屋・寿司屋・茶舗・肉屋・八百屋・魚屋・クリーニング屋……と、間隔を空けてではあるがずっと何かしらの店が視界に入る。それだけでなく、看板を掲げてはいないが何かの店であるような雰囲気を帯びた家が多数あるのだ。
 それもそのはず、この道は若松から医王山を越えて越中福光に至るかつての「福光街道」である。しかもこの一帯「天神町」はその宿場町であった。今なお残る店の多さは、往時の賑わいの名残と言えるだろう。

 

「天神町」。そう、天神様お膝元の町である。だから、もう少し歩を進めると天神様を祀る神社に辿り着く。それが椿原天満宮だ。
 元は一向一揆の拠点・椿原山砦であったこの地に加賀前田家が遷座せしめてからが、椿原天満宮の現在に繋がる歴史と言っていいだろう。それ以前に関する社伝はもちろんあるのだが、記述に歴史的矛盾が少なからず含まれていて、正確なところはよく分からないようだ。
 加賀前田家は家紋を梅鉢としているところからも分かるように菅原道真を祖先と称したため、椿原天満宮は大いに崇敬され、江戸期は金沢城の鎮守・金沢の神社中筆頭の位置にあったという。今も祭は絶えず、四月と九月に例祭が執り行われている。
 祭の日には天神町の通りに出店が並び、自動車は通り抜けできないほど……なのだが、After Colonaのこのご時世、どうなったであろうかと見に行ったところ、ちゃあんと出店は出ていた。ただ以前に比べると多少店と店の間隔が空いており、軽自動車ならば通り抜けも無理ではない程度に道幅は確保されていた。対策なのか、ご時世の余波なのか、はたまた両方か。ともあれ祭が続くのは喜ばしいことである。

 

 それはともかく、椿原天満宮は祭の時期でなくとも訪れる価値のある見所が多い。
 まず、元が砦であった名残か、全体的にしっかりとした石垣で囲まれていて見栄えがする。子どもなら間違いなく城攻めごっこをやりたくなるやつである。石垣というものの歴史的性質上、一向一揆期から存在したとは必ずしも言えないが、加賀前田家がこの地を神社兼出城と考えて整備したということであれば納得もしやすい。
 更にはその名の通りに椿の名所であり。天満宮であるから梅も咲く。早春から花のある地であり、参道の階段を上りながら愛でることができる。
 その参道の途中には狛犬が一対据えられているが、このうち向かって右手側の一体が、後ろ脚を天に向けて蹴り上げている姿で、割と珍しい「逆さ狛犬」である。この逆さ狛犬は全国の中でも金沢周辺に集中しているそうで、「金沢逆さ獅子」とも呼ばれる。他にも訪れやすいところでは石浦神社の境内にある広坂稲荷神社の狛犬がそうである。近くまで来ることがあれば立ち寄って話の種に見ていくといいだろう。

 

 そう言えば、椿原天満宮の逆さ狛犬も広坂稲荷神社の逆さ狛犬も、どちらも向かって右手側、吽形の方である。東山の宇多須神社もそうである。一方、左手側 阿形の方が逆さ狛犬であるケースも少数ながらあるようだ。この傾向には何か理由があるのだろうか。